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プロフィール

影井美穂 プロフィール

1968.3.30 鳥取に生まれる

好きなこと

お昼寝

ぼーっとすること

時々旅に出ること

料理

犬と遊ぶこと

家にいること

不思議なこと

謎解き

そう 不思議なことが好きである。

なぜ 好きなのか?…

それは たぶん 幼少期にはじまる。

幼少期 両親の仕事場の関係で 母方の祖父母のところで2年ほど過ごしたのだが、そこで 母方の祖父からいろんなことを見聞きしていた。

母方の祖父は 仏教倫理学やら宗教学やらを専攻しており おまけに御釈迦様の研究⁉︎もしていた。

今の時代 スピリチュアルがほぼほぼ定着しつつあるが、昭和40年代後半はまだまだ認知されておらず

酵素の開発をしたが 世間になかなか受け入れられず 「ちょっと 時代が早かったな」と言っていたり

「チョットクウニイッテクル」などと言って

友人3〜4人で輪になって座り だまって目をつぶっている姿は4.5歳の私にとっては不思議でならなかった。

また 小学生の夏休みに 母の実家に泊まりに行った時などは 御釈迦様やお経の話を延々と聞かされたものである。

世の中には目に見えないことや不思議なことがたくさんあるもんだと思っていた。

昭和50年代は 「あなたの知らない世界」やスプーン曲げ 探検もののテレビ番組が多く 興味深々でみていたものである。

家には仏壇があり 祖母が毎朝お経をあげているのを見ていたので 高校受験や大学受験の時は 神頼み的に毎朝お経をあげていたりもした。

しかし そのお経も毎日同じ経文を読んでいると

なんとなく意味がわかってきて

何億恒河沙…など天文学的な数字が出てくるので

最初は 大げさだなと思っていたが

なんとなく

もしかして科学者がこれを読み解けば いろんなものの構造や謎が解けるのではないかとも思っていた。

この思いが解けたのは今から30年ほど前の大学生の頃 科学者でもあり宗教家でもあったあるおじいさんの話を聞いた時であった。

そのおじいさんは法華経の経典を科学的に解読していて、その頃にすでに 最近話題の量子力学について語っていた。

そのことで、多くの謎が解け

「類は友を呼ぶ」など日本のことわざを通して

いにしえの人々の素晴らしさに驚いたものである。

やがて大学も卒業し バブル期に証券会社に就職したのだが

その時も 母方の祖父に 「証券会社は 生き馬の目を抜くような厳しいところだから 社会や金融の仕組みをよく学ぶんだよ」と言われたのを思い出す。

たしかに 空やお経の話を聞いていた私にとっては

かなり面白いところであった…

バブル期ということもあり、証券会社と言っても女子社員は コピー取りやお茶くみが仕事だと思って喜んでいたのだが、男女平等均等法などという法律が決まり 四大卒の私は営業に配属された。

しかし これも不思議なのだが なぜだかタイミングよくちょうど貯金しようと思っていたところに訪問したり おばあちゃま方に妙に気に入られたりして嫌な思いはほとんどせず、新人にも関わらず

営業成績もかなりよかった。

しかし 一年たったころ

アクセサリー店を経営していた母から 新店舗を出すから手伝ってくれと言われ 辞めることとなった。

母は、経営者としてはかなりやり手であったが、やはり祖父の子だけあり 何かを決めるときには

色々な方面からのアドバイスを参考にしていた。その中の1つに四柱推命の先生のアドバイスもあった。

しかし、私が会社に入るとその役目は私となり

その四柱推命の先生とお話をする機会も多々あった。

これも不思議なのだか、その先生も相談事以外の古典の基礎やら星の性質やら食べ物のことやらを電話で2時間くらいおはなししてくれた。

今思えば ありがたいことに 別料金を払わなければならないくらいの講義である。

しかし その先生曰く

「東洋哲学は 日本人より欧米人のほうが関心があり、フランスのほうからのオファーが多いので、日本の顧客は抹消してフランスに行きます」

と言われ 止むを得ず 終わりになってしまった。

しかし 母の経営者仲間の一人が 今度は九星氣学の先生を紹介してくれた。

この先生は なんと鳥取で教室を開くので15人くらい集めてくださいとのことで、しかし急に人口最小県の鳥取でそんなに集まるわけはなく 私も習わざるを得なくなった。

九星気学の講義は 幸い 幼少期の祖父の話や 四柱推命の先生の話を聞いていたおかげで 私にはとてもすんなり容易く頭に入ったが、はじめての人達は チンプンカンプン 宇宙語のようで理解できなかったらしく 1年後には5〜6人に なり 5年後には4人程になり10年後に卒業したのは私ともうひとりであった。

私にとって 九星氣学は とても楽しく都合のよいものてあった。

母の元で働いていたので、長期の休みがとりずらかったが、方位学開運学でもある九星氣学は佑氣取りと言って吉方位に行ってエネルギーをとったくることにより開運するものなので、佑氣取りと称して休みをとりよく旅行に行ったものである。

しかし さすがは開運学だけのことはある。

おもろいくらい方位の象意が出たり

、やけにラッキーだったりする。

なぜだか、鑑定の依頼も増えてくる。

そんな私を見て 友人がパワーストーンブレスをつくってほしいと依頼が来る。

生年月日を紐解き 願望や好きな色などを聞き石を決めていく。

不思議なことに ブレスの依頼も増えてくる。

そうすると 1番不思議におもっているのは私である。なぜこんなに好評なのか?

もう少し知りたい 鑑定の精度をあげたい…

そんな時 出会ったのが 一条公の陰陽師の末裔の幸輝先生である。

いろいろと幸輝先生の講義を聞いているうちに

奥の深さに魅力を感じ、占導師になることを決意し、日本神話の因幡の白兎から

占導師 兎月となる。

四柱推命の先生の言葉で今でも覚えているものがある。

「人生は真っ暗なトンネルのようなもの。そこに灯があれば どこになにがあるのかわかるし安心するでしょ。 占いとはそういうものなの」

そして占導とは人を良い方へ導くこと。

私は トンネルで迷ったときの灯になり

あなたのもっている素晴らしいギフトに気付いてもらい ステキな人生を歩んでいかれるお手伝いをしたいと心から思っています。